〜プレイルーム〜

        『アフリカ ポレポレポート』
    11/14(日)から11/25(木)のつもりが11/26(金)

           『長い長い一日』
11/14日は寝てた。ずっと寝てた。アムステルダムまで、ほぼ13時間の間で
起きたのは、機内食(深夜版?)のカップラーメンの匂いがした時だけだった。
それでもここ2日間寝てなかったんで、食欲よりも眠さが勝ち、食べる事なく
着陸を迎えた。
アムステルダム空港に降り立って、しかも空港の外に出れなくてやっぱり思う

 アフリカに行きたいオレが、なんでヨーロッパにいてんねん!

で、以前にニューヨークの空港で、空港職員がハンディータイプの金属探知機
をグルグル回してるのを見ながら、

 キミ、日本でそんなにグルグルやってたらクビやで!

と、思ったようにアムステルダムでも同じように、いや、もっと激しく思った。

 空港職員がチュッパチャプスはイカンやろ!

と。あと、海外に行くとトイレの(小の)便器が微妙に高い。
女の子には分かりづらいと思うが、ちょっとした敗北感すら感じてしまう。
そんなアムステルダム空港の便器には全部になぜか『ハエ』の絵が描いてある。
なんでやろ?なんのためのハエやろ?
そんな事を思いながら用を足して分かった。

 ココを狙え!

って事だ!たぶん人(男)は10人が10人ハエを狙うに違いない。そして
そこがハネない(返り血を浴びない)ポイントになってる・・・気がする。

アムステルダムでは5時間待たされた。北海道での『乗り遅れ事件』もあって、
あんまり動いたりするのも不安なので、搭乗口の待ち合い席で座ってると、
同じ様に動いたりするのが不安(?)なのかオランダ人(?)女性が1人で
読書をしていた。そしてこの日、オレは日本を離れて

 最初の恋をした

笑顔で「ボンジュール」と言われてから5時間の時間が流れ、その先ヒトコト
も交わすことなく、笑顔とマクドのポテトをもらっても恋が発展する事もなく、
アムステルダムからナイロビに向った。
機内の乗客は、やはりケニアの人達が多かった。驚いた事に彼ら&彼女達は
離陸後ベルトのランプが消えると、みんな立ち上がる。
トイレに行く訳でもなく、荷物を取り出す訳でもなく、

 ただ、立ち上がり、しゃべってる。

楽なの?立ってるのが楽なの?さながら機内はちょっとしたホームパーティー
みたいな雰囲気だった。そんなのが8時間。あなた達ねぇ

 普通に立ち過ぎ
 しゃべり過ぎ
 そして、太り過ぎ
 おまけに飛行機ゆれ過ぎ

なんかジャリ道走ってるトラックみたいにゆれてた。不安が一周して心地いい振動に思えてくるぐらいゆれまくってた。

ナイロビで2時間待って国内線に乗り換えモンバサへ40分。
ナイロビからモンバサの機内では、ジャージ姿のケニア人(?)が、最初に
乗り込み、迷う事なく窓際のビジネスクラスに座って窓の外を見ていた。
もしかして有名なマラソン選手かと思ったら、離陸直前になってエコノミー席
に連れ戻されてた。

 お前、大胆過ぎ

そんなこんなで、やっとモンバサ空港に着いて、1人たたずんだ。
そういえば、ココからどうやって港に行くのか、今さらだが、聞いてなかった
事に気づいた。

 そもそも、港までどれくらい?

近くの人に聞きに行ったら、空港到着口にいた30人ぐらいの『TAXI』と
書かれた看板を持った運ちゃん達がオレを取り合った。
その中にポツンと『Peace Boat』と書かれた看板を持った黒人を発見。
あんまり積極的にオレにアプローチしてないあなた、そう、あなたですよ!
もっと積極的にきてちょーだい!

車の中で自己紹介をしたら、彼はハンドルを握りながら

 俺はマイケル シューマッハだ

とおどけてた。たぶん「オレはF1レーサー並みだぜ」って事を伝えたいんで
しょうが、それは、

 ミハエル シューマッハでしょ?

そんな訳で、日本から29時間かけて船に辿り着いた。
そして、今が11月の何日で何時なのか分からないまま、6時間後ぐらいに
船はケニアを旅立った。

 キリンさんも、ゾウさんも見ないまま・・・

            『世界一』

世界一ってのはスゴイ。今まで間近で見た世界一は『KINGリンボー』の
リンボーダンスとクラウディアのリフティング(女子)ぐらいで、もちろん
どっちもスゴかったが、ほのぼのとした楽しいスゴさだった。
今回、水先案内人(ゲストはこのように呼ばれてる)としてオレと一緒に
ケニアから乗船したのが、京都在住の大学生、Mr.Maschu(ミスターマシュー)
本名:金 昌幸。これがスゴイ。
弱冠14歳にしてパフォーマンスの世界大会『ENTERTINER OF THE YEAR』
(エンターティナー オブ ザ イヤー)で優勝、もちろん最年少だ。
アジア人には絶対に取れないと言われてた大会でだ。しかも、4年に1回しか
ない大会で、今年18歳の時に2連続で世界一になった。

 まさに世界を知ってる男だ

そして、もっとスゴイのが、今年の3月にアカデミー賞のオープニングアクト
で呼ばれたのを断った。その断った理由が

 高校の卒業式とかぶったから・・・オモシロ過ぎ

見せたいなぁ、手元にある彼のパフォーマンスを撮ってきたビデオを。オレの

 「ワァーオ!マシュー!」

って声が、ウザイぐらい入ってるビデオを見せたい。
ナニがスゴイって、ヨーヨーとディアボロ(中国ゴマ)は圧巻だ。

そもそもマシューがヨーヨーを始めたのが12歳の時で、コロコロコミックの
懸賞で7番のゴジラを応募したのに、『7』と書いたつもりが『1』に見えた
らしく、1番のハイパーヨーヨーが当たってしまったのが始めたきっかけだ。
つまり、ヨーヨーはじめて

 1年後に世界を獲った事になる。

ということは、コロコロコミックの懸賞担当の人が『7』を『1』に見間違え
てなかったら今のマシューはいないかもしれない。
世界のマシューを作ったのは

 コロコロコミック?
 いや、マシューの字が汚かったから?

で、また、このマシューが、ケニアでえらい目にあってきた。

オレもナイロビに着いてからビザを取るのに時間がかかったがマッシューは
オレ以上に時間がかかって、乗るハズの飛行機に乗れなかった。
まさにオレの北海道状態だ。もちろんマシューは寝てた訳じゃないが。

で、次の飛行機に乗るための手続きやら、ピースボート側への連絡を取ろうと
して、ナイロビ空港の国際線と国内線の間を往復した時に悲劇は起きた。
オレも実はこの国際線と国内線の間の、ほんの数十メートルの間に怪しい黒人
に捕まって荷物を持たれ

 俺は空港のポータだから安心しろ

と言って、数十メートル荷物を運んだだけで20ドル要求された。しかし、
そんな理不尽なことを許しちゃイカンと思い

 ふざけんなッ!日本人なめるなよ!

という、気持ちを胸に秘め、2ドルだけ出して逃げてきた。
が、マシューはスタートからオレのピンチの3倍増だった。
3人の黒人に囲まれ、1人はナイフを持ってて「車に乗れ」と言われたので、

 乗っちゃっいました(本人談)
 えッ?乗ったの?乗っちゃイカンだろ、乗っちゃ!(オレ談)

で、空き地のようなところで荷物をあけろと言われて、言う通りにしてたら
ジャグリングの道具が出てきたもんだから黒人達が

 「なんだ、コレは?」
 「俺はジャグラーだ」
 「ちょっとやってみろ」

ってことで、やったら、30秒で黒人達は大喜びした。
そらそうだ、目の前でやってるのは世界一の男ですから。

で、ここで解放されてたらひと段落だったが、喜んだ黒人達は、解放どころか
車で更に空港から遠ざかり、マシューをスラムに連れて行った。
そこで子供達を集めて、その子達にマシューの30分間のパフォーマンスを
見せてあげた。

 優しい?いや、おかしいやろ!

さすがにマシューも、もぉ、こいつらのハートはガッチリつかんでる、今なら
お願いを聞いてくれるハズだと思い、

 空港で5時のモンバサ行きに乗らないと大変な事になる

と伝えたら、大急ぎで車を飛ばしてくれた。
ところが、空港では、もう席がなくて『マシュー THE END』かと思ったら、
その中の1人が

 コイツはスゴイヤツなんだ、コイツを乗せないでどうするんだ!

と交渉してくれて、なんとか飛行機に乗れる様になった。

ヤツらとは笑顔で別れ、マシューは出港5分前ギリギリ間に合った。
すでにピースボート側は、マシューとは連絡が取れてなかったので諦めてた。
そこに走ってくる荷物いっぱいの比較的、いや、かなり無口なマシューは

「ホンマ、助かりました、ええ人らで」

と。いや、そもそも、アイツらのせいやろ?
そんなとぼけた19歳マシューと船のスタートだった。
その後、船内と、南アフリカの地で魅せられたパフォーマンスには、まいった。
もちろん闘う土俵自体が、オレとは全く違うが・・・

『AAAからAAA』

船内ではいくつかの企画がある。大きく分けると、パッセンジャーが自分で
企画する『自主企画』と、水先案内人がやる『水案企画』とに分かれてる。
水先案内人には、こまごまとした事を手伝ってくれる水先案内人パートナー
(水パ)として、自ら希望した人達が付いてくれる。
この水パというのはライブをやるのに、とても重要なポイントを占めてくる。

今回の船内では、6日間で『トークライブ』以外に『AAAからAAA』
『想い出コント製作工場』の3本のライブをやった。

毎回Peace Boatに乗ると、最初のトークライブでは『話し相手Japan Tour』
をやり、その後は船に乗ってから考えてた。
今回ひとつだけ違ってたのは、Peace Boatのスタッフの小野寺愛ちゃんから、
AIDSの問題を取り上げて欲しいというリクエストがあった。
まぁ、デリケートな問題だし、笑いにするのも正直難しかったが、リクエスト
に応えたのは『自分のやるべき事は!』とか『オレがやらねば!』ではなく

 小野寺愛ちゃんがかわいかったからだ

ってことは、アムステルダム空港で最初の恋をする前に恋してた事になる。

そんなこともありながら、今回『南アフリカ』に行くのを決めたのは12/1
武道館で『AAA』の時期だったからだ。
HIV感染者と、AIDS患者の6割以上がサハラ以南の南アフリカに集中して
るのと、AAAが支援してるルーマニアと南アフリカのAIDSは、

 同じ病気であって同じ病気ではないからだ

今、ルーマニアの子供達は死なない。薬によって病気の完治はしないが発症を
押さえる事はできる。それは幸せな事であり五朗さんや寺脇さん、『AAA』
に参加してるアーティストやスタッフ、お客さんのおかげであることは間違い
ない。だからルーマニアの支援も、新しい自立支援プロジェクトの形に変わり
つつある。あッ、分かってると思うが、一応

 オレはアーティストの側だ

だだ、ルーマニアの子供達も薬がないと簡単に死んでしまうので、正しくない
表現かもしれないが、今本当に困ってるのは、新潟であったり、水害にあった
日本の人達である。

ルーマニアの子供がHIVに感染したり、AIDS患者になったのは、世界でも
珍しい輸血感染がほとんどで、国の情勢(チャウシェスク政権崩壊)に翻弄
された結果で、ルーマニアの子供達も本当に困ってる。
ただ、調べれば調べるほど

 国(ルーマニア)がやれよ!

という部分もある。貧しい国なら分かるが、今のルーマニアはそうでもない。
だから、去年までの『AAA』はAct Against AIDS であったが、今年からは

 Act Against Anything

にしていこうという五朗さん、寺脇さんの考えもある。AIDSに対しての行動
ではなくAnythingに行動だ。

ところが南アフリカや南・東南アジアでは、まだまだ『AIDS=死』だと聞いた。
ただ、今は耳で聞いてるだけで、今回は事実を見てこようと思った。

で、船内でどういう形で『AAA』をやるか迷ってた。寺脇さんが何年か前に
ルーマニアに行った時は現地で『桃太郎』の芝居をやってた。高校生との芝居
で、しかも

 通訳付きの間の悪い芝居だった

らしい。ただ、芝居をはじめた頃の事を思い出した。と本人は言ってた。
『役者である以上芝居で』というように、オレもやっぱり
『お笑いである以上笑いで』ってことで、全くやるつもりのなかった

 水パとコント

をやることにした。コントをやりたいっていう人が多かったのもあったが、
なんか「そんな無理もアリかも」と思ったのと、もうひとつは

 天才が現れた

水パの中に、漫才をやってたことがある『ボケれる男』の出現と、音楽番組だ
ったが、以前に構成作家をやってた『台本を書ける男』の出現が大きかった。
だからオレは

 酒を飲み、寝てた

コントの出来がどうだったかは別として、と、こんなふうに書くと出来が
悪かったようなイメージだが、たぶんめちゃめちゃオモシロかったハズだ。
で、寺脇さんが言ってたように、

 コントをはじめた頃の事を思い出した

気がする。

Peace Boatでは、寄港地に着くと様々なオプショナルツアーがあって、バス
やロバで港から出かけていく。

 ロバはウソです、なんとなくオモシロイかも?と思って

オプショナルツアーは、観光コースと交流コースに分かれてて、観光コースは、その名の通り、観光地を巡るコースで、南アフリカだとテーブルマウンテンや、喜望峰が有名だ。
で、交流コースは、Peace Boatの裏のルート、いや、秘密のルート、いや、

 努力のルート

というか、これまで各国を回ってきて足で稼いだルートの賜物のコースだ。
で、南アフリカの人達と交流しお互いを理解できる?コースだ。
観光、交流ともいくつかのコースに分かれてる。
あとは、どの寄港地でも自由行動はできるが、訪れる国によっては危険が
いっぱいある。
南アフリカの場合は、そんな『危険がいっぱい』ある『国』で、特に、夜は
危険満載地域だ。

オレにとって観光コースはどうでもいいが、交流コースはどれも魅力的で、
南アフリカの初日に行って、交流してきたのは

 『ポルスモア刑務所』の囚人の人達だ

わざわざ南アフリカまで来て、罪を犯して刑務所に入った人と交流し、挙げ句
に、刑務所内の食堂でランチっていうのもどうかと思ったが、逮捕?検挙?
補導?された少年達に行なわれてる

 『非暴力のワークショップ』を体験してきた

ここはネルソン マンデラ氏が、政治犯として不当に8年も収監された場所だ。
そんな中で少年達に『非暴力のワークショップ』を続けてる、水先案内人の
ジュリアンさんとポルスモア刑務所側の信頼関係があって、ふつうは入れない
刑務所に入り、会えない少年達に会って話を聞けた。
日本でいう少年院のような感覚だが、刑務所内の条件は全く違う・・・の?

 少年院に入ったことがないんで分からないが

少年達は、1部屋に35人ほどが詰められており、ベットしかない。トイレも
部屋の中にあって、正直、清潔とは言えない。
そして、彼らはここで判決を待って、刑が確定すると、服役する事になる。
刑が確定した者はオレンジ色のツナギを来てて、色々な職業訓練をする。
刑が確定するまでは、服装は自由で・・・

 あれ?自由やったっけ?

ココでは、黒人しか見なかったが・・・

 あれ?黒人しか収監されてないんやったっけ?

しまった、いっぱい大事なこと聞くのを忘れてた。

この『ポルスモア刑務所』の中では少年達は3つのGANGグループに分かれて
いて、常に対立してるらしい。
それぞれのグループが、それぞれの言語(暗号)を持ち、敵対するグループや
看守にさえ分からない様に情報を交換してる。

 刑務所の中でですよ!

そんな中の1割の少年達が『非暴力のワークショップ』を受けている。そして
ピーターという少年と出会った。彼には衝撃をうけた。

最初に大きな部屋で『選ばれた15 人程の少年達』と会い、お互いに質問を
したり、普段ジュリアンがやっている『非暴力のワークショップ』を受けたり
した。少年達の中の1人がしたひとつ気になった質問が、

 「日本では、刑務所内でHIVに感染したり、結核になったりしたら
  どうするんですか?」

知り合いが刑務官をしてるという人が代表して『日本のシステム』を答えてた
が、オレには『?』だった。
意味が分からなかったのではなく、ピンとこなかった。それは、彼が求めてた
答えではなかったからのような気がした。

後で分かった事だが、彼が今その状態(H I Vポジティブ)だったのだ。
その事を理解してたら、もう少し違った答を出せたかもしれないと思った。

その後、刑務所の中を案内してくれてる間は、ずっとピーターとしゃべってた。
いや、英語がよく分からないんで、しゃべってたというより、聞いてた。

 あれ?ナニをして捕まったのか聞くの忘れてた

ピーターとしゃべってて、いや、聞いてて、ちゃんと理解できてない事を書く
と、彼の名誉に関わるので、めったな事は書かないが、

 なんでココにいるのか分からなかった

もちろん捕まった理由は本人に聞いてないんで、捕まった理由が分からない
んじゃなく、なんで捕まらなければならなかったのかが理解出来なかった。

そんな分からない事がいっぱいあったので、ピーターと文通する事にした。
今後、彼の許可を得て、書ける事は書いて行こうと思います。

 まだ、返事は来てないが・・・

    『やっぱりマシューはすごかった』

ポールスモア刑務所での衝撃的な体験の次の日に、タウンシップ(黒人居住区)
に行って、交流をしてきた。
もちろん喜んでもらってたと思うし、自分達にもナニか昨日とは違った体験が
できて有意義だと思った。
そして、ここでも『ミスターマシュー』は会場の子供はもちろん、大人達の
ハートをガッチリとつかまえてた。
これで、オレの南アフリカでの体験は終わった。

 そう思ってた

たとえ1日、2日でも知らない世界を知ることは大事だし、少しでも触れる事
で、見えてくる事はたくさんある。
ただ、1日や2日では限界があるし、それ以上に怖いのは誤解したまま本質が
見えない事もある。

 少なくともオレは、2日だけでは誤解してただろう

            『デート満喫』

いつもだと寄港地で船を降りる時はひとりぼっちになるのが、今回は違った。
ピースボートでは『先乗り』という人達が各寄港地にいて、その寄港地での
オプショナルツアーを組んだり現地でのイベントの交渉をしたりする。
で、その寄港地が終わって船を見送った後で、次の寄港地に先回りして、また
同じ様に仕事をする。
オレは、船旅の最後の方で乗る事が多かったので『先乗り』のスタッフ達は
次の寄港地に行く事もなく、船に乗って日本に帰り、オレだけが船を降りて
飛行機で日本に帰る。だからひとりぼっちになるわけだ。
紙テープをひとりじめし、そして

 1人で片付ける

が、今回は先乗りチームが、次のナミビアに移動するために南アフリカで船を
見送り、1泊する事になってた。
まぁ、ナミビアがどこにあるのかはさっぱり分からんが・・・。
で、今回の南アフリカに残ったのが、今年で4年の付き合いになるが、ずっと
ニューヨークに住んでたため英語がベラベラの亮くんと、スペイン人のオカン
を持ち、10年間スペインで育ったためスペイン語がベラベラのマオちゃん、
そして日本語がベラベラの日本人、優ちゃん。
優ちゃんの名誉のためにいうと人より英語は出来ます。が、

 オチとしては、こんな感じになります

船を17時に見送って、明るいうちに小高い丘の上にあるホテルに着いた。
キッチンも付いてるホテルで、3人はココに1週間滞在してたので、リビング
にノートパソコンと書類が散らかってたりして『できるヤツら』感が出てた。
ベランダと広いリビングで4人でビールを飲みながら・・・これは完全に

 質の高い合コン状態だ

夕食は、南アフリカに8年在住の福島康真さん(アパルトヘイト問題の水先
案内人)が、行きつけの日本料理屋『FUJIYAMA』に連れていって下さり、
寿司とか食ったりした。日本食から離れてたからではなく、本気で旨かった。

4人とも、明日の飛行機の時間は違ってて、ナミビアに向う優ちゃんが一番
早くて朝の4時、リオデジャネイロに向う亮くんは7時で、オレは19 時、
マオちゃんは20 時に空港だった。
そぉです、オレとマオちゃんは、ほぼ一日、南アフリカに滞在が残ってる。
つまり

 デートができる

次の日、すでに優ちゃんと亮くんが旅立った後、朝9時に電話での会話だ。

 オレ「起きてた?」
 マオ「うん、今からシャワー浴びたいんですけど、いいですか?」
 オレ「浴びなさい、浴びなさい」
 マオ「朝食とります?」
 オレ「そうやな」
 マオ「じゃぁ、1階のホテルのレストランで」
 オレ「はぁい」

どぉ?電話をかけたのはオレだが、完全に主導権はマオちゃんです。
それにしても、違うでしょ?今までのオレのパターンと明らかに違うでしょ?
今までのピースボートの時にひとりでハプニング続きのオレとは違うでしょ?
日本を離れて

 3度目の恋をした

で、この後はデートですから。
結局、黒人解放に人生を捧げたネルソン マンデラ氏が、17年も投獄された
ロベン島、日本でいうと昔の佐渡みたいなもんかな、そこに行く事にした、

 デートですけど

で、南アフリカとは思えない、神戸とか横浜みたいに整備されたケープタウン
のウォーターフロントでお茶してた、

 デートですから

で、フェリーで40 分、ロベン島に着いた。ポルスモア刑務所に行った時より、
生々しさはなく、今は観光地としてキレイにされてた。英語オンリーの説明
だったが、この時は『過去の歴史』としてしかとらえきれなかったが、気持ち
が重たくなりながら見て回った、

 デートなのに

ロベン島から帰ってきて、ベンチに座って、軽くハンバーガーを食べた、

 デートだから

そうこうしてるうちに空港に行かないと行けない時間(デート終了の時間)に
なりタクシーでケープタウン空港に向った。
空港での別れ際、スペイン人のオカンを持つマオちゃんなので、

 軽くハグして、フレンチキス

みたいなのもアリかなと期待してたが、全くなく、ニッコリ笑顔で握手した。
おかしい、

 デートだったのに

ケープタウンを離陸する時、19 時前だったが、外はキレイに明るかった。
テーブルマウンテンに雲がかかり、めったに見れない『テーブルクロス』の
状態で、最後の最後にステキなプレゼントをもらえた気がした。
その直後、愕然とした。

離陸した飛行機の下に広がってたのは、果てしなく続く『黒人居住区』で、
そこは昨日交流してきたタウンシップとは比べものにならないぐらい、
ひと目で『貧困』が伝わってくる建物だった。それは

 『過去の歴史』ではなく『今の事実』

で、最後に見た南アフリカの光景としては、あまりにも重たく、いつまでも
続く光景に、早く日が沈んで欲しいと思った。
その光景が見えなくなったのは、飛行機が高度を上げて見えなくなったのでは
なく、日が沈んだからだった。
ただ、ヨハネスバーグにある街『ソエト』は更に劣悪な状態だと聞いた。
オレはまだまだこの国の歴史を知らない。

日本vsバーレーン(ワールドカップアジア予選2005)

アフリカポレポレポート(レポート編)

アフリカポレポレポート(写真編)

下北レポート

2003年 発走企画

前編(朝鮮民主主義人民共和国編へ・・・)

後編(釜山〜国後島編へ・・・)

2002年 初めてのニューヨーク

福島カツシゲアメリカレポート

福島カツシゲ アメリカ PHOTOレポート

富士山ライブプロモーション レポート

(c) copyright.2001.colors-talks.com Japan All rights reserved